由来を教えて!劇団名50 その31 [バックナンバー]

トリコ・A

“自分が行方不明”であることを強みに

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次々と新たな作り手が頭角を表す演劇界。数ある劇団の中から、ジャケ買いならぬ“劇団名買い”で観劇に行った経験はないだろうか。チラシやニュース、SNSなどで目にする劇団名は、シンプルなものから不思議な音の響きを持つもの、「どういう意味?」と目を引くものまでさまざまだが、それには名づけ主の希望や願い、さらには演劇的活動戦略が込められているはず。このコラムでは多彩な個性を放つ若手劇団たちの、劇団名の由来に迫る。劇団名が持つ秘密と共に、未来の演劇界を担う彼らの活動の軸を紐解いていく。

31番目に登場するのは、京都を拠点に活動するトリコ・A。劇作・演出家で、愛知の新劇場メニコン シアターAoiの芸術監督・山口茜を中心とする同団体は、上演ごとに出演者、スタッフを集めるスタイルで作品を発表している。11月に愛知、12月に大阪で新作「そして、羽音ひとつ」を発表するトリコ・Aに団体名の由来を聞いた。

トリコ・A(トリコエー)

Q. 劇団名の由来、劇団名に込めた思いを教えてください。

トリプルAとか、A(kane)に虜になるように、みたいなことだったと思います。だったと思いますというのは、2003年に、当時よく私の1人ユニットに出演してくれていた俳優らとともに劇団を作ろうとなって、そのうちの1人がつけてくれた名前を採用したのが始まりだからです。結局その俳優さんは名前だけつけてメンバーにはならず、残ったメンバーとの活動も1年で終わり、現在名前だけが残っています。名前の由来に対する愛着のなさ、そしてこの名付けのプロセスにおける“自分が行方不明”みたいな感じが、立ち上げ当時の私の創作をもろに表しているなと思います。

Q. 劇団の一番の特徴は?

最近、主宰である自分が自分を喪失しているというのが強みだと思うようになりました。これまではそれが障害となって私の前に大きく立ちはだかっていると考えていたのですが、最近はそういう私にしか見えない風景があると思うようになりました。そして、きっとそれをこれまで作品として立ち上げてきたんだと思います。

だから、あえて挙げるとするならば、私の1人ユニットであるにもかかわらず、いまだに私がやりたいことをやり切っていないところが特徴だと思います。

Q. 今後の目標や観客に向けたメッセージをお願いします。

まずは、私は自分で歌って踊りたいんです。誰のためでもなく、自分の奥深くからそれが湧き上がるのがわかるので、それを舞台上にあげてみてお客さんとつながれるのかどうか、試してみたいです。トリコ・Aはおそらく、そういうことを試す場になっていくと思います。私が私のために全力でやったことが、観客の皆さんの何かを少し温められるといいなと思っています。ぜひお付き合いいただけるとうれしいです。

「PLEASE PLEASE EVERYONE」より。(撮影:松本成弘)

プロフィール

1999年に山口茜の劇作・演出で演劇を上演する団体として設立。当初は魚船プロデュースの名で活動していたが、2003年にトリコ・Aに改名した。近年の主な作品に「つきのないよる」「私の家族」「へそで、嗅ぐ」など。

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刈馬カオス(刈馬演劇設計社) @karuma_engeki

この企画好きなんだけど、自分のとこは絶対聞かれない自信ある。 https://t.co/K93o051JKO

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