「台本は君へのプレゼント」宮本信子が語る、亡き夫・伊丹十三の思い出

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台北金馬映画祭に正式出品されている「タンポポ」の4Kデジタルリマスター版が11月12日に台湾の映画館・台北信義威秀影城で上映。主演の宮本信子が上映後、映画人によるレクチャーイベント「影人講堂」に登壇し、亡き夫である映画監督・伊丹十三の思い出や制作秘話を1時間にわたって語った。

台北金馬映画祭「影人講堂 宮本信子」の様子。(写真提供:台北金馬映画祭)

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「タンポポ」 (c)伊丹プロダクション

1985年に公開された本作は、未亡人タンポポが営む寂れたラーメン屋の再起を描いた“ラーメンウエスタン”。食通としても知られた伊丹が“食べることの官能性”を表現した1作で、タンポポのストーリーを軸にしながら、食にまつわる13の奇想天外なエピソードがつづられる。伊丹映画の中でも海外での人気が特に高く、ラーメンブームを巻き起こすきっかけになったとも言われている。このたび「タンポポ」を含む伊丹が遺した監督作、全10本が4Kデジタルリマスター化。台北金馬映画祭でレトロスペクティブが行われ、その多くがワールドプレミアとして上映された。日本国内では2023年1月に日本映画専門チャンネル、日本映画+時代劇 4Kでのテレビ初、独占放送が控えている。

伊丹十三 (c)伊丹プロダクション

イベントでは伊丹の監督作を中心に宮本の50年以上に及ぶ女優としてのキャリアと、伊丹とのプライベートな話題が展開。司会者からは「なぜ、そこに愛が生まれ、またどうやってアタックされたのか」という直球の質問も飛び出した。宮本は手を挙げる観客を自ら指名し質問に答えていき、伊丹との出会いや馴れ初めを聞かれると、1965年からNHKで放送されたドラマ「あしたの家族」での共演を振り返る。「伊丹さんは外国で『北京の55日』や『ロード・ジム』に出て日本に帰って来たばかりの頃。すっごくハンサムで、すっごくおしゃれ。(車の)ロータス・エランなんかに乗ったり、ランチでビールなんか飲んじゃったり。本当に違う星から来た人という印象がありました。私にとっては近寄りがたい、危険な感じのおじさんに見えたんです。歳は12も違いますし」と話しながら、伊丹が当時、NHKのディレクターとどちらが先に宮本とお茶に行けるか競っていたことを述懐。「『今日はセリフを覚えますから』と断ったりして、ディレクターの人はそのうちあきらめてしまったんですね。でも伊丹さんはしつこいのなんの(笑)。とにかく全然あきらめなかった」と結婚前のエピソードを打ち明けた。

左から玉置泰、宮本信子

その後、1969年に2人は結婚。当初の関係性を「先生と生徒みたいな間柄。もう緊張する毎日でございました」と述べつつ、「子供についても伊丹さんは『僕はいらない』と。そのとき彼は人口問題を勉強してたんです。だから私は『2人生きて、2人死ぬんだから、2人産んでいいんじゃないですか』って言ったんです」と私的な会話を披露し、会場を笑わせる場面も。同じ俳優として夫婦になった当時を「いい作品に出演したい。でも、なかなかオファーが来ない。ちょっと不満を抱えていたんですね」と思い返す。やがて伊丹は宮本の父親の葬儀を主宰した経験をもとに監督デビュー作となる「お葬式」のシナリオを執筆。宮本と山崎努を主演に迎え、突然肉親の死に見舞われた俳優夫婦が葬儀を終えるまでの3日間を、日本人への鋭い洞察を忍ばせながら笑って泣ける一編として描き出した。さまざまな映画会社から「縁起が悪い」と断られたため、自宅をロケ地にするなどして予算を抑えながら、自分たち伊丹プロダクションとニュー・センチュリー・プロデューサーズの手で製作。結果的に「お葬式」は興行面、批評面ともに大成功を収めた。

伊丹十三監督作ビジュアル一覧 (c)伊丹プロダクション

全10作に出演し、公私にわたるパートナーであり続けた宮本は「脚本を書いてるときは邪魔しちゃいけませんので、私は妻として見てるだけ。書き終わると『はい、君へのプレゼント』と言われて台本をもらうんです。とてもうれしかった。当時の日本映画は、従順でおとなしい古風なヒロインが多かったんですが、伊丹映画は男たちと戦う勇気のある元気な女性が多い。いろんな役をできて、私は女優としてなんて幸せなんだろうと今でも思ってます」と笑みをこぼす。伊丹との撮影については「初日の最初のカットが一番緊張しまして。そのとき芝居の感じが、だいたい決まるんですよね。感性の部分だから、うまく説明できないんですけど……映画って面白いんです」と回想。「伊丹さんの予想と私が違うことをすると『あなた、そうきましたか』と、すっごく喜んでいました。これが一番うれしかった。そして、いい場合は採用してくれる」「映画を作っていくうちに同じ釜の飯の仲間というか、パートナーとして認めてもらえるようになった。そこから私、強くなったと思います」と話した。

「マルサの女」 (c)伊丹プロダクション

イベントには「お葬式」から映画プロデューサーとして参画し伊丹映画の屋台骨を支え、現在は伊丹プロダクションの代表取締役会長を務める玉置泰も出席。その当時の日本社会を皮肉りながら、多様な題材でオリジナル映画を作り続けた伊丹の作風について、玉置は「常に今の日本人のことを考えていました。それが10本全部のベースにある」と語る。「お葬式」がヒットして高額の税金を納めたことから「マルサの女」が生まれ、暴力団対策法が施工された1992年と同年に「ミンボーの女」を監督し、バブルが崩壊し従来の価格秩序が壊れていった時期には「スーパーの女」を発表するなど、伊丹が生きている社会を見据えながら、自分が興味を持った対象を調べ上げて映画を作っていた背景を紹介した。加えて宮本は「伊丹さんがすごいのは、それらを全部エンタテインメントとして描いたこと」と説明。伊丹は映画を作るうえで「びっくりした」「面白い」「誰にでもわかる」という3つの観点を大事にしていたそうで「いろんな問題を描きながらも出てくるものは、やっぱりユーモアがあって楽しい。伊丹映画の好きなところです」と明かした。

「ミンボーの女」 (c)伊丹プロダクション

観客からの質問をきっかけに「ミンボーの女」公開直後、民事介入暴力を扱った内容から伊丹が暴力団の襲撃を受けた事件を回想する一幕も。宮本は「自宅の駐車場で顔を切られまして。あとちょっとでも深かったら、かなりのダメージを受けるような事件でした。血だらけで救急車に乗るとき、私は失神しそうになってるんですけど、彼は『あなたじゃなくてよかった』と。そのとき映画を作るのは、これほど覚悟がいるんだと思いました。それが、のちに『大病人』で死を描くことにもつながった。『大病人』のときは映画の顔であるスクリーンを切られることもありました。それでも彼は怯みませんでした。すごかった。誇りに思っています」と胸の内を明かす。最後には「伊丹さんが亡くなってから25年以上経ちますけど、こうやって全作品が4Kとなって上映されるのはまれなこと。皆さんには感謝しかありません。全部を観ていただけたら、どんなにうれしいか。今日は本当にありがとうございました」と胸いっぱいの様子で客席に呼びかけ、イベントを締めくくった。

台北金馬映画祭は11月20日まで開催。

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ばびょ~ん @babyoon23

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