ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE hosted by KEN THE 390 EPISODE.5(前編) [バックナンバー]

“高校生RAP選手権”という衝撃:T-Pablow

嫌な言い方をすれば「ヒップホップに人生を狂わされた」

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嫌な言い方をすれば「ヒップホップに人生を狂わされた」

T-Pablow

──そして、優勝した直後に川崎を離れて、沖縄に行かれたそうですね。

T-Pablow 365日のうち、350日以上は地元の先輩たちと一緒にいる状況だったんですけど、「少し休んでいいぞ」と。

KEN 「高ラ」で優勝した反響とかは気にならなかった?

T-Pablow 沖縄の電波がほとんどないような島に行ってたんで、情報が入ってこなかったんですよ。SNSもやってなかったから、エゴサーチもしなかったし。

──第2回、3回とT-Pablowさんは不参加でした。

T-Pablow 優勝したあとに、Zeebraさんの登場するイベントに呼ばれて、Zeebraさんのビートボックスに乗せて何千人もの前でフリースタイルする機会に恵まれたんですね。でも、それが先輩方に「あいつは調子に乗ってる」みたいな感じで受け止められて、ちょっと地元で面倒くさい事態に巻き込まれて。結果、関東に入れなくなってしまい、それで全国を放浪することになったんです。だから、嫌な言い方をすれば「ヒップホップに人生を狂わされた」と思ってましたね。

KEN その当時はいくつ?

T-Pablow 17歳ぐらいですね。

KEN 巻き込まれ方が……(笑)。

T-Pablow もう自分の意志でなんにも動いてないんですよ、当時は(笑)。

──第4回の「高ラ」にはT-Pablowさんが再び参戦し優勝を果たします。

T-Pablow 単純に、地元の川崎に入れない、帰れない状態が1年半ぐらい続いてたんですよ。その最中に、自分のバックDJをやってくれると話してた小学校からの友達が亡くなってしまって、それで「こういうことがあったんで、一度だけ地元に戻らせてください」と先輩に連絡して帰ったんですね。そのタイミングで「高ラ」の第4回があることを知って、スタッフさんに連絡をしたんです。そうしたら「事情はYZERRくんから聞いてます。でも、また優勝したら、今度はいろんな大人の人も守ってくれると思いますよ」みたいに言ってくれて。

KEN 壮絶……。

T-Pablow だから第4回は自分の意志で出場を決めたんですけど、出場するまでどれだけ“誰にもバレないでいられるか”という問題もあったんですよね。バレたらどんなことになるのかもわからないし、当日もBAD HOPの連中がボディガードじゃないけど、スタジオに入るまでずっと一緒にいてくれて。

──別のインタビューで「ここで優勝できなかったらラップを辞めるつもりだった」と話していますが、観念的な決意というよりは、実際問題として勝たないといけなかったと。

T-Pablow 優勝したら何かが変わる保証なんて、実際は何もなかったんですけどね。放浪してる間はヒップホップからは離れてたけど、頭の中でラップしてたんですよ。でも、まったくポジティブじゃなくて、それこそ被害者意識のような内容が強かったと思います。ヒップホップに出会ってなければ、ラップさえやってなければこんなことになってないのに、って。地元の人たちにも思ってましたよ。「だから出たくないって言ったんだよ。俺の不安が正しかっただろ」と。生活としても、ほとんどホームレスですよね。親戚に頭を下げて生活費を工面してもらったり、本当に情けない状態に置かれてましたね。

──自尊心が挫かれる情況というか。第4回のT-Pablowさんのラインは、内省的な内容だったり、「人間として」みたいな言葉が強くなっていたので、そのマインドの変化はどこで生まれたのかなと思っていたんですが。

T-Pablow 仲間が捕まったり、いろんな圧も強かったり、そういう自分の置かれてた生活が、言葉に反映されてたのかもしれないですね。

KEN それがライムに出て、より人を惹きつけたんだろうなって。

──「人が思う以上に人は弱い / 本音は怖い / でも死ぬまでトライ」というラインが、かしわとのバトルで出ますが、そこで「こういうことを言うんだ」と驚いた記憶があります。

T-Pablow 精神的にも病んでたんですよね。でも「耳から音を入れて、頭で言葉を考えて、それを口に出すっていう行為がセラピーになるよ」と精神科の先生に言われて、実際に「こんな目にあった理由はラップなのに、それでも俺はラップをしたいんだな」と自覚したんですよね。その経験やマインドも、自分のラップをうまくしてくれた要因だったと思います。

KEN その意志は絶対に自分のバックボーンになるよね。

T-Pablow だから、第4回のときはどんな言葉を相手からぶつけられたとしても、全部返せるだろうな、って自信はありましたね。

KEN 第4回で優勝して、実際に状況は変わった?

T-Pablow かなり変化しましたね。そこでちゃんと考えて動こうと決意したというか。

音楽で生きていくんだ、やるしかない

左からT-Pablow、KEN THE 390。

──「高ラ」もブームになり、2014年にはT-PablowさんとYZERRさんは2WINとしてGRAND MASTERと契約を締結、BAD HOPとしてもアルバム「BAD HOP ERA」をリリースしました。

T-Pablow ここで道が拓けたと思ったし、ラッパーとして、音楽で生きていくんだ、やるしかないという感じでしたね。ストリートとも一旦距離をおいて、音楽と向き合いラッパーとして自分が大きくなるまで活動に集中しようと。だから、昔の先輩や仲間とまた昔みたいにつるむようになったのもBAD HOPの日本武道館(2018年に行われたBAD HOPのワンマンライブ「BreatH of South」)前後で。

KEN 名前が高まってから、いわば「音楽で食えるようになってから」という感じだったんだ。

T-Pablow そうですね。先輩たちの反応も変わってました。「お前らやるじゃねえか」みたいな。

<後編に続く>

T-Pablow(ティーパブロウ)

神奈川県川崎市出身のラッパー。2012年、K-九名義で出場した「BAZOOKA!!! 高校生RAP選手権」第1回で優勝。2013年には、同大会の第4回で現在のT-Pablow名義で再び優勝を飾った。2014年、地元・川崎で結成したクルー・BAD HOPとしてコンピレーションアルバム「BAD HOP ERA」をリリース。同年に双子の弟であるYZERRとのユニット、2WINを結成した。2015年よりテレビ朝日で放送開始されたMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に初代モンスターとしてレギュラー出演。2017年には、ソロデビュー作となるミニアルバム「Super Saiyan1 The EP」をリリースした。2024年2月19日、東京ドームにて開催されたライブ「BAD HOP THE FINAL at TOKYO DOME」にてBAD HOPを解散。

BAD HOP オフィシャルサイト

KEN THE 390(ケンザサンキューマル)

ラッパー、音楽レーベル・DREAM BOY主宰。フリースタイルバトルで実績を重ねたのち、2006年、アルバム「プロローグ」にてデビュー。全国でのライブツアーから、タイ、ベトナム、ペルーなど、海外でのライブも精力的に行う。MCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に審査員として出演。その的確な審査コメントが話題を呼んだ。近年は、テレビ番組やCMなどのへ出演、さまざまなアーティストへの楽曲提供、舞台の音楽監督、映像作品でのラップ監修、ボーイズグループのプロデュースなど、活動の幅を広げている。2024年3月2日、ワンマンライブ「KEN THE 390 UNFILTERED LIVE 2024」を東京・渋谷duo MUSIC EXCHANGEにて開催。

KEN THE 390 Official

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