春で白菜も食べ納め。塩もみしてオイルとレモン、ディルで和えました。(撮影:前川知大)

前川知大の「まな板のうえ」 第2回 [バックナンバー]

いただきますのカーテンコール

自分が作った料理とは、全員の顔が見える料理

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劇作家、演出家でイキウメ主宰の前川知大は、知る人ぞ知る、料理人でもある。この連載では、日々デスクと台所に向かい続ける前川が、創作と料理への思いをつづる。

プロセスとの関係が最大の調味料

自分で作った料理は特別。前回はそういう話をしました。愛と執着の賜物であり、味がどうであれ美味しい、そういうものだと。必然的にそれは家庭料理になります。シェフが厨房で作ったものを試食するのは? 同じかもしれませんが、無償の愛でその料理を評価していたら、お客さんが求めるものからかけ離れていくかもしれません。オーナーは不安になるでしょう。ゆえにお店で作る料理には客観性が重要ですし、“美味しさ”という基準もある程度自分の外のものを受け入れる必要があります。あばたもえくぼではいかんのです。

もちろん家庭料理も一緒に食べる誰かがいるでしょうし、一人だとしても味を度外視していいわけではありません。客観性は必要です。ここでの客観性とは、みんなが美味しいと思う(と思われる)味を基準とし、そこに寄せていくということです。誰かに作ってもらって食べる人は、出来上がった料理とだけ出会いますから、プロセスは見えません。味が全てです。しかし作って食べる美味しさは、結果(味)と、プロセスとの関係が最大の調味料なのです。そこに見る因果や偶然、奇跡が味わい深いのです。

たけのこご飯。春の食卓にはよく登場。食べ飽きません。(撮影:前川知大)

たけのこご飯。春の食卓にはよく登場。食べ飽きません。(撮影:前川知大)

そういう点で料理は、自分→自分、他者→自分、では“美味しさ”を同じように測ることはできないのかもしれません。食べるだけの人には「イマイチ」だった味も、作った人にはフィードバックがあり、後悔もあれば興味深い発見もあります。「なるほどこうなったか、なるほどねぇ、まぁこれはこれでいいか」とトライ・アンド・エラーの必然として功績を認められ「美味しい(≒愛しい)」の枠に入れられてしまうのです。まぁ年に一度くらいは、鍋からゴミ箱へ直行するような、紛うことなき失敗作もあったりしますが。

「みんな」が美味しいと感じる味。それは口に入れた瞬間「そうこれこれ」となる、よく知ったわかりやすい味とも言えます。客観性、自分の外にある美味しさの基準。独自性を打ち出そうとしても、客商売だとそういう味を無視はできない。ファストフードやチェーン店、食品産業はむしろそういう味を追求します。たくさん売ることが最大目的なので、より分かりやすい味になり、材料やプロセスには目をつぶることになります。

同時に、自分の基準に絶対的な価値と信頼を置く、アーティストのような料理家やお店も少なからず存在します。プロセスや材料の公開に積極的で、新しい“美味しさ”を提案してくれます。最先端の食文化の幾つかはメディアや外食産業を通してゆっくりと大衆化し、みんなのよく知った味の仲間入りをするものもあるでしょう。どちらがいいとは言いません。そして家庭料理というのはその間をゆらぎ、あるいは自在に行き来できるものだと思います。何を作って食べるのか、クックパッドなどを見ると、ここまで多様化してる国も珍しいと驚きます。

エンタテインメントの世界も似たようなもので、“美味しさ”を“面白さ”に変えると同じことが言える。わかりやすさとの距離感やプロセスの見せ方など、インディペンデント系の作品と興行会社の作るものでは、味わいが違ってくる。これについてはまだ深入りしないことにしましょう。

自分で作った料理は、全員の顔が見える料理

春のカブは柔らかい。生でも煮ても焼いても美味しいし、見た目もかわいい。(撮影:前川知大)

春のカブは柔らかい。生でも煮ても焼いても美味しいし、見た目もかわいい。(撮影:前川知大)

さて、自分で作った料理の美味しさに戻ります。プロセスが大事という話でした。少し具体的な話をしていきましょう。私にとって重要なのは、口に入れた時に全員の顔が見えるということです。どういうことか。例えばカブのポタージュ。シンプルな料理です(歳をとってくると、大体の人がシンプルが一番と言うようになります。私もご多分に漏れず)。

玉ねぎをバターで炒め、カブと水を入れて煮る。カブが柔らかくなったら粗熱をとってミキサーで撹拌する。鍋に戻し牛乳(or 豆乳)を入れて沸騰させないように温め、塩で味を決める。白胡椒やコリアンダーなど、お好みのスパイスを入れてもいい。

汁物は熱々よりも少し冷めたくらいが美味しいと思います。一口飲んでみます。飛び上がるほど美味しいものでもありません。二口三口、じわじわと美味しさを実感します。どろどろの流動体ですが、入っている個々の存在を立体的に感じることができます。登場人物それぞれが役割を果たし、無駄に目立つキャラ、記憶に残らないキャラもいません。それでいて全体は、登場人物の少なさを感じさせない豊かさがあります。カーテンコールに並んだ俳優たちを見て驚きます。たったこれだけで? 私は心からの拍手を送ります。全員の顔が見えるとは、こういうイメージです。

こちらも春の味覚。ホタルイカと菜の花の炒め。白ワインでどうぞ。(撮影:前川知大)

こちらも春の味覚。ホタルイカと菜の花の炒め。白ワインでどうぞ。(撮影:前川知大)

料理を食べた瞬間、入っている素材や調味料を当てられることが偉いとは思わないし、する必要もない。私もそんな舌を持っていません。もちろん興味がありますから、作ってもらったものを食べた時、何が使われているか想像しますし聞いたりします。目立たないところでいい仕事をしていたやつの名前を聞いて膝を打つこともあります。

作った人はあらかじめ全ての登場人物を把握しています。食べた時に全員がちゃんと仕事をしているのか意識できるのは作った人だけです。個々の仕事が最低でも足し算になっていて、掛け算が生まれていれば成功です。私は拍手したい気持ちになります。それは作った自分に拍手しているのではなく、登場人物たちに拍手しているのです。

「美味いなぁ、美味しいなぁ」と私は自分で作った料理を食べながら言います。妻が「また自画自賛してるよ」と呆れます。違います。そこに参加してくれた食材を称賛しているんです。その料理は私によって「作られたもの」でしょうか。創造主と被造物の関係のように、全能の私によって生み出されたものでしょうか。そうは思いません。私の関与と見守りの中、食材自身がそのように成ったのです。誰かに「作られた」ではなく半ば自らそう「成った」のです。個々の可能性を開き、奇跡的な結合によって、自らの存在を超えるような高みに達した彼ら彼女らを称賛しているんです。

ちょっと何言ってるかわからない……と妻は言います。まぁいいでしょう。

料理も物語も俳優の演技も、「作られた」ではなく「成った」が良いものと考えます。これについてはまた別の回で。

添加物の捉え方

いきなりですが、添加物の話をします。皆さんの身構える音が聞こえました。体に悪いと思いつつも、便利だから気にしすぎたくない。わかります。食品添加物、化学調味料、ジャンクフードは生活の一部だし、罪悪感を感じさせないでほしい。わかります。食や健康、ライフスタイルについて意識高い人と話すと、なんとも言えない引け目を感じる。わかります。実は食に興味が無いのに言い出しにくいこの社会が苦しい。そういう人だっているでしょう。

そのうえで先に言っておきます。私は正直、食に関してやや意識高いです。遠くで舌打ちする音が聞こえました。わかります。とはいえ妻がポテチの在庫に余念がないことや、息子がカップラーメンやハンバーガーに貴重な小遣いを費やすことを否定はしません。健康という錦の御旗で個人の楽しみを奪ってはいけない。家族といえどもそこは自由です。

ただここでは、健康という観点から添加物を否定したいわけではありません。

カブのポタージュに戻りましょう。自炊する人なら、さっきのレシピにコンソメが入ってないと思ったかもしれません。ポタージュでレシピ検索すると、ほとんどのレシピにコンソメと入っています。料理家さんのレシピにも入っていたりします。このコンソメとは、当然本物のコンソメスープのことではありません。市販されている固形か細粒の調味料のことです。コンソメスープ、作り方、で検索すると、味の素のサイトが一番上に出ます。私たちにとってコンソメとはこういう企業が作る調味料のことで、日常的にコンソメを肉と野菜からとるという人はほぼいないでしょう。

悪者みたいに書いてごめん。私の人生では役割を終えただけなんだ。感謝。(撮影:前川知大)

悪者みたいに書いてごめん。私の人生では役割を終えただけなんだ。感謝。(撮影:前川知大)

このコンソメはアミノ酸の旨味、塩分、油分などで構成されています。お湯で解いただけで美味しいスープになります。私もずいぶんお世話になりました。さっきのカブのポタージュに塩の代わりにコンソメキューブを一つ入れます。コンソメ入り、コンソメ無しの両方を家族に飲んでもらいます。コンソメの方が美味しいと言うでしょう。無しの方はなんだか味がぼんやりしていると言うかもしれません。

コンソメは美味しい。でも登場人物の姿を隠してしまいます。コンソメ入りのポタージュを口にした時のイメージは、たくさんの登場人物がいたはずなのに、カーテンコールには知らないおじさんが一人出てきて、得意げに礼をして去っていった。そんな感じ。自分で作ったのに、です。私はぽかんとします。確かに美味しい、でもみんなどこに行った? これは食べるだけの人には関係のない話かもしれない。食べるだけの人には美味しい方がいいのです。でも登場人物たちは怒っていないだろうか。だってこうなってしまうと、カブがジャガイモでもカリフラワーでも誰だって構わないことになってしまうから。

私はそういうことが嫌なのです。暴力的な「美味しい」がプロセスを無効化してしまうような。関係者への敬意を邪魔するような。

コンソメなどの旨味調味料の特徴は、とても速いことです。舌から脳へ直行するような美味しさです。今は化学調味料とは呼ばず「アミノ酸等」と表記されます。物質の特徴としてそうなのかわかりませんが、売上を伸ばすためには、誰もがすぐに美味しいと感じる、わかりやすい旨味である必要があったと思います。その速さは自然の速度を超えていて、素朴な食材は追いつけないのです。

コンソメ無しの方は、一口目でははっきりとした旨味を感じることはできないかもしれません。旨味は遠くからゆっくりとやってくるイメージです。じんわりとゆっくりと、唾液に含まれる酵素をも利用して、変化しながら立ち上がってきます。その間に、素材それぞれの風味を感じることができます。二口三口、食べ進めるほどに、微細に変化していく味を楽しみます。残りも少なくなった頃、しみじみ美味いと感じるのです。まな板の上にいた全員の顔がしっかりと思い出せます。みんなありがとう。こういうことだったのか。拍手したいところだが、日々の食卓で大げさなことはしない。合掌。

カブのポタージュは、コンソメ無しでもじゅうぶんに美味しいです。

カブ菜炒め。本体も良いがまずこれを食べる。ごま油と塩、最高に美味い。(撮影:前川知大)

カブ菜炒め。本体も良いがまずこれを食べる。ごま油と塩、最高に美味い。(撮影:前川知大)

私はコンソメや細粒のガラスープ、出汁の素のような旨味調味料を基本使いませんが、キッチンにはあります。妻は使いますし、私も忙しい時など使うこともあるので。妻がコンソメを使って作ったポトフを私は美味しくいただきますし、美味しいと思います。作ってもらった料理のプロセスを問うつもりはありません。感謝し、受け取り、感じるだけです。自分で作る時に使わないのは、健康を気にしてというよりも出どころ不明の“美味しさ”に、やっていることの邪魔をされたくないからです。正当な評価ができなくなってしまう。美味しければいい、というわけにはいかないのです。

コンソメのことを、知らないおじさんと言ったことを謝ります。以前そう言ったら、妻がひどく嫌がっていたから。「その言い方はやめろ、使う気が失せる」と。確かに知らないおじさんの浸かった風呂の残り湯スープのよう、おっと失礼。では次回は旨味について、もう少し考えてみたいと思います。人類が大好きでたまらないアミノ酸について。

プロフィール

前川知大(マエカワトモヒロ)

1974年、新潟県生まれ。劇作家、演出家。目に見えないものと人間との関わりや、日常の裏側にある世界からの人間の心理を描く。2003年にイキウメを旗揚げ。これまでの作品に「人魂を届けに」「獣の柱」「関数ドミノ」「天の敵」「太陽」「散歩する侵略者」など。2024年読売演劇大賞で最優秀作品賞、優秀演出家賞を受賞。8月から9月にかけて「イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』」が東京・大阪にて上演される。

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