「道の駅で見つけた紫キャベツ。近所のスーパーには置いてないので見つけると買ってしまいます」。(撮影:前川知大)

前川知大の「まな板のうえ」 第1回

料理と創作を、料理側から語ってみる

愛と執着の創造物

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劇作家、演出家でイキウメ主宰の前川知大は、知る人ぞ知る、料理人でもある。この連載では、日々デスクと台所に向かい続ける前川が、創作と料理への思いをつづる。

人生の最後に食べたいものは?

もう20年も昔のことです。結婚する前でしたが、妻とこんな会話をしたのを思い出します。死ぬ前に、人生の最後に食べたいものは何か、という誰もが一度はする話です。私たちは二人ともごく自然に料理をしましたし、することが好きでした。お金はなかったけど、工夫してそれなりに楽しい食生活をしていたと思います。

彼女は、死ぬ前にというその話題を切り出し、私のパスタが食べたいと言いました。私は長くイタリアンのお店でアルバイトしていたこともあり、パスタは得意な料理の一つでした。ひょっとしたらその時の食卓にもパスタが乗っていたのかもしれません。彼女は自分の食べたいものを表明しました。次は私の番です。人生の最後に食べたいもの。これを食べて死にたい。その口のまま昇天したい。そう思える一品。私は考え込んでしまいました。

定番のアンチョビとキャベツのパスタ。「何もない時でも作れるし、意外と子供も好きでよく食べる」。(撮影:前川知大)

定番のアンチョビとキャベツのパスタ。「何もない時でも作れるし、意外と子供も好きでよく食べる」。(撮影:前川知大)

おそらくそこで考え込む必要はなかったのです。そこから間違っていたのです。彼女は目の前のパスタを称賛する意味でその話題を持ち出しただけかもしれないし、その表明はなんの拘束力もない気軽なものなのです。断末魔の苦しみの中「あの時パスタと言ったけどごめん、変えていい?」と言えるか心配する必要もなければ、明日には違う料理を選んだとしても何ら差し支えのない表明なのです。でも私は考え込んだすえ「僕は多分、自分で作った料理を食べたいと思う」と答えました。彼女はとたんに不機嫌になり、「そういう時は、私(彼女)のごはんが食べたいとか言っときゃいいんだよ!」と怒られてしまいました。そう思います。もしコミュニケーションに正解があるならそうでしょう。やってしまったと思いました。

でも正直、私はそういうお約束的なやり取りに抵抗があるタイプで、言うべきセリフが分かっていたとしても躊躇いが生まれ、違うことを言ってしまいがちです。言い訳がましいのですが、正解のようなものがあることはわかる。求められていることはわかります。でもその言葉を言わされるような圧力を感じ、つい抵抗してしまった結果、言う必要のなかったことや、失礼なことを言ってしまうことがあります。お約束なやり取りが育む繋がりがあるのはわかります。繋がりを確認するためにもそういうコミュニケーションは大切です。わかってはいるんです。私が考え始めた時に彼女はきっと思ったはずです「いいよいいよそんなに悩まなくても、なんだおい、沈思黙考するタイミングじゃねーよ」。そして私の回答を聞いて思うわけです「ハイ出た謎のこだわり、めんどくさ!」。

思いのほか妻の描写がガラ悪くなってしまった……申し訳ない。このエピソードが示すように妻と私はどちらかと言うと違うタイプです。ただ正反対の資質を持った夫婦というのは珍しくありません。知人を見渡しても多くがそのパターンで、概ね上手くやっています。お互いを補完できますし、死ぬまで理解も共感もできない部分を抱えて一緒にいることは面白いことです。このエッセイは料理と創作について書くものです。私はほぼ毎日台所に立ちます。私の料理をもっとも多く食べているのは言うまでもなく妻でしょう。そして価値観や生き方が違うように、妻とは食べ物の趣味が微妙にずれる部分があります。もちろんかなりの部分は重なっているので、私が美味しいと思うものを美味しい美味しいと食べてくれます。時にそのずれが明るみに出ることもありますが、それはそれですし、客観的な視点を教えてくれます。その視点はとても重要で、多くの気付きを与えてくれます。こだわりがちょっとウザい、感想求めすぎ、のような意見も含めて。

イキウメ「人魂を届けに」より。(撮影:田中亜紀)

イキウメ「人魂を届けに」より。(撮影:田中亜紀)

私の創作とは演劇で、戯曲の執筆と演出になります。そういう日々の創作や、稽古場で俳優の成長などをみていると、料理と同じだな、と思うことが少なからずありました。インタビューなどで劇作についてしゃべっている時もそうですし、料理を例えにして俳優にアドバイスを言うこともあったと思います。それは恐らく私が演劇を始める前、もっとも長く継続的に興味を持って取り組んできたことが料理であったからです。趣味の域を出ない日常的なものですが、職業として考えていた時期もあって調理師免許も取得しました。習い事や部活、ただ好きで続けてきたこと、専門的な仕事、そういった一つのことをある程度(せめて10年、できれば20年)やれば、そこで得た経験によって、違うジャンルのことでも短期間で見通しがよくなることは多くの人が実感しているのではないでしょうか。

人は何かに向き合うことを通して成長し、社会や人生を理解していきます。演劇を始めるまでの私にとってそれは料理だったのでしょう。演劇を始めて25年ちかくになりますが、最近は料理のことを考えていると、演劇と同じだなと思うことが度々あります。料理を通して演劇を考えていた時期から、演劇を通して料理を考えるようになったのは、私を作り上げている要素が、料理<演劇となったということかもしれません。演劇を通して多くを学びましたし、そこで得た知見を一般化して言葉にするには、やはりそれなりの時間がかかるものだなぁと思います。演劇の創作プロセスや演劇独自の表現方法、メディアとしての特性など、そういうものが料理をしている時、料理について考えている時に自然と繋がってしまうのです。

というわけで、料理(まな板)と創作(板の上=舞台)というテーマを、料理側から語ってみようというわけです。創作料理なんて言葉が出てきて久しいですが、そもそも料理は創作です。レシピ通りに作っても、それはあなたの創作です。お味噌汁ひとつとっても同じものはできませんし、毎朝目玉焼きを焼いても、目玉焼きを極めることなんて一生かけてもできないのではないかと呆然とします。同じ米を同じように炊いても、日々味わいは違うのです。困ったものですし、まったく感動します。

イキウメ「人魂を届けに」より。(撮影:田中亜紀)

イキウメ「人魂を届けに」より。(撮影:田中亜紀)

演劇はライブの芸術なので、お客さんの前で上演した時に姿を現します。その場で受け取ってもらうしかありません。その点も料理に似ていますね。台本(レシピ)通りにやっても毎日微妙に違いますし、完成はありません。蕎麦屋が粉の具合やその日の湿度をみて配合を変えるように、演出家も俳優も、なるべく全体が変わらないために、細部を日々変えていきます。なかなか繊細な作業をしているのです。月に何度も食卓にあがる日常的な料理に、食べられないほどの失敗がないように、繰り返し繰り返し稽古をして、大きな失敗がないように手順を決めておきます。舞台の場合は「失敗しました作り直します、少々お待ちください」とはいきませんから。

さて、料理の方に話を戻します。先のエピソードで私が「自分の作ったものを食べたい」と言ったのは、何も自分の料理に特別自信があるわけではないんです。最後に食べるものとしてミシュランの星付きを選ぶ人は、いるかもしれませんが少数派でしょう。みんなにとって高級で美味しいとされるものより、自分にとって特別なものを選ぶはずです。風邪をひく度に親が作ってくれたものや、人生のハイライトを彩ったあの料理、お金の無い時に毎日食べたアレ、そういうものです。美味しさという基準すら脇に置かれてよいものです。同じように「自分で作った料理」というのも特別なものです。私の料理が良いのではなく、自分で作るという点が素晴らしいんです。

何もないところから始まり、イメージが立ち上がり、材料をそろえ、下ごしらえをし、調理をする。器を選び、盛り付け、食べる。すべてのプロセスを自分で行います。それが生まれてお腹の中に消えていくまで、そのすべてに関わり、目撃している。よく作家が作品を子どもに例えることがありますが、自分で作った料理も作品であり子どものようなものです。大げさに感じるかもしれませんが、目玉焼き一つとっても私は今もそのように感じます。素材の状態、使った器具、火入れの時間などで、少しずつ違います。毎日食べても、毎日初対面のような気持ちがします。違うからです。そして何故違うのかは、作っている本人にはわかります。その目玉焼きの短い歴史のすべてを知っていますから。食べるだけの人には、些細な違いは問題にされません。ですが作り手は些細な違いからプロセスを振り返り、何が問題だったのか歴史を検証するでしょう。

「ステンレスフライパンでの目玉焼きは慣れないと難しく、何度も失敗した」。(撮影:前川知大)

「ステンレスフライパンでの目玉焼きは慣れないと難しく、何度も失敗した」。(撮影:前川知大)

「予想以上!」「思ったとおり」「どうしてこうなった?」、感想はいろいろあります。子どもは思い通りにならないものですし、どんな人間に成長しようと愛情は変わりません。「どうしてこうなった?」としても子どもは子どもです。そういう点で料理も、イマイチだろうが失敗しようが不味かろうが、愛情が失われることはありません。すべて美味しい。それが自分の料理です。愛と執着が、あなたを完食へ導くでしょう。この美味しさは、作った本人だけが味わえるものです。あなたが作り、あなたが食べる、これ以外の組み合わせは存在しません。誰かに頼むことはできないし、いくらお金を積んでも手に入らない。あなたが作るしかない。そういうものです。自分で作った料理。どうです? これ以上特別な料理がありますか?

なんだろう。機嫌を損ねた妻に20年越しの弁明をしている気がしてきた。死の淵にある人間はキッチンに立つことなんてできないと反論されるかもしれない。その通りだと思います。でもトースト一枚焼くのだって立派な料理だし、それくらいはできるでしょう。でもどうかな、最後に敢えてトーストを食べようは思わないかもしれない。いやいやトーストは奥深い軽んじるな。でもな、やっぱり、なにか作ってもらおうかな、美味しいやつ……。シチュエーションに思いを馳せるほど当初の主張から変わってしまうが、別にいいのである。なんの拘束力もない気軽なおしゃべりなんだから。自分の料理が美味い、と言いたいわけではなく、自分で作る料理は特別だということが言いたかっただけなのです。

長くなってしまいましたが、次回は、自分で作ることで、食材や調味料の選び方がどう変わってくるかについて考えてみようと思います。

プロフィール

前川知大(マエカワトモヒロ)

1974年、新潟県生まれ。劇作家、演出家。目に見えないものと人間との関わりや、日常の裏側にある世界からの人間の心理を描く。2003年にイキウメを旗揚げ。これまでの作品に「人魂を届けに」「獣の柱」「関数ドミノ」「天の敵」「太陽」「散歩する侵略者」など。2024年読売演劇大賞で最優秀作品賞、優秀演出家賞を受賞。

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読者の反応

池谷のぶえ @iketaninobue

待ってました!的なコラム!
この企画考えた方素晴らしいです。
まだ1回目ですが、ぜひまとめて本にして下さい。

私は、俳優さんのお料理のいただき方を見ると、その方のお芝居の仕方に似てるなぁ、と感じます。
反応、工程への興味、感想がある俳優さんはお芝居も上手。 https://t.co/QKYYx6xBj9

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