天へ旅立った名作曲家、バート・バカラックに捧ぐ(寄稿&イラスト:西寺郷太)

幸宏さんの訃報を受けて反芻したビルボードライブでの素晴らしい想い出

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20世紀を代表する作曲家バート・バカラックが、去る2月8日に94歳で死去した。盟友である作詞家ハル・デヴィッドとのコンビで、60年代から80年代にかけて、Carpenters「遥かなる影 / (They Long To Be)Close To You」、アレサ・フランクリン「小さな願い / I Say a Little Prayer」、ディオンヌ・ワーウィック「サン・ホセへの道」など多くのヒット曲を世に送り出したバカラック。彼は作曲家のみならず、シンガーとしての活動も精力的に行っており、計6回にわたり来日公演を実施している。

そんなバカラックが2012年に東京・Billboard Live TOKYOで行った来日公演を「人生のベストライブ」に挙げているのが西寺郷太(NONA REEVES)だ。故・高橋幸宏とともに同じテーブルを囲み観覧したという貴重なライブ体験を通して西寺が感じた、バカラック最大の魅力とは? なお今回の企画では追悼原稿を依頼するとともに、ここ最近イラストレーターとしても活動する西寺にバカラックを描き下ろしてもらった。

文・イラスト / 西寺郷太

高橋幸宏と観た来日公演

仕事柄「これまで観客として体験した人生ベストのライブ、コンサートを教えてほしい」といった質問を何度も受けてきた。ここ10年、筆頭に挙げ続けてきたのが、約10年前のバート・バカラック、Billboard Live TOKYOでの一夜。バカラックは作曲家、メロディメイカーとして20世紀半ばから無数のマスターピースを世に送り出してきたポピュラー音楽史において最重要人物の1人だが、彼の際立った特徴は「職人」「裏方」に留まらず、ステージでのパフォーマンスを歳を重ねても精力的に続けたことではないだろうか。来日公演は、1971年から、2023年2月に94歳で亡くなるまでに合計6回。特に彼が80代になってからの驚くほど精力的な活動もあり、僕も2008年、2012年、2014年と生の演奏と歌声に触れることができた。中でも、2012年9月10日のビルボードライブ公演は、生涯忘れることのない宝物として心に刻まれている。

その頃、バンドNONA REEVESが、Billboard Recordsから作品をリリースしていたこともあり、バカラックファンのミュージシャン仲間や先輩の分もチケットをまとめて予約しようと僕は思い立った。何気なく声をかけると、仲よくしていた加藤紀子ちゃん、尊敬する先輩でキーボーディストの堀江博久さん、そしてなんと堀江さんと一緒にバンド・pupaを組まれていた当時60歳の高橋幸宏さんも来られることに。21歳年上の幸宏さんは僕にとって雲の上の存在であり、日本音楽界のレジェンド。思いがけず、僕らは1つのテーブルを囲むことになった。

当時84歳のバート・バカラックの前では、幸宏さんも、堀江さんも、僕もまるで少年のように平等になった。あの夜、一緒に観ていた幸宏さんのどうしようもなくうれしそうな表情、メドレーでどんどん曲が変化するごとに「最高だね」「本当ですね」と同じテーブルでアイコンタクトできた瞬間の喜びが今も心に蘇ってくる。

西寺郷太が描いたバート・バカラック。

音楽の本質を捕まえようとする姿に感動

特に思い出すのは、本来ボーカリストではなくピアニストであるバカラックが、かすれた含蓄に満ちた声で自らが紡いだ正しい音符を探すように精一杯歌う「アルフィー」を聴いたときのこと。「生きるって、どういうことなの? 今がよければそれでいいのかな、アルフィー?」という盟友ハル・デヴィッドが作詞を手がけたフレーズが聞こえた瞬間から、涙が不思議なほど自然にあふれ出てきた。ふと見回すと観客の多くも泣いている。それはピアノを弾き語るバカラックの姿が今までステージで観てきたどんなアーティスト、スーパースターよりも一生懸命だったからのように今、思う。我々がこれまでラジオやレコードなどを聴いて、好きになって、胸を抉られてきた無数のポップソング、楽曲の数々はリズムやコードやメロディ、歌詞などの無限の組み合わせで響きとなり作品となっているが、マイクに向かって歌うバカラックを見つめていると音楽の可能性とは無限でありながら、逆に確かな、1つだけしかない答えが存在していて、彼はその航路を真摯にたどる、誇り高く美しいボートの漕ぎ手のように思えたのだ。神懸かり的なソングライティングで多くの人々の心を動かしてきた巨人でありながら、むしろボーカリストとしては不器用かもしれない彼が、リズムやコードやメロディの答えを一生懸命キャッチしようとし、あれでもないこれでもないと本質を捕まえようとする84歳のその姿を我々に見せてくれたこと。歌手としての佇まいこそがバカラック最大の魅力だったように、僕は感じている。

彼のキャリアを振り返るとき、最も参考になるのが「バート・バカラック自伝 ザ・ルック・オブ・ラヴ」(ロバート・グリーンフィールドとの共著 / 訳:奥田祐士)だろう。ユダヤの家系に生まれ、ピアノを習うが誰よりも背が低くすべての女性からスルーされていたと嘆く10代の回想から、成人後に開花した音楽家としての恐るべき才能と本来恵まれたルックスからあふれる優しい笑顔に夢中になる女性たちが次々と現れ、世界が一変する20代、30代。人間味にあふれた心の動きが彼独特のユーモアとともに無邪気なほど素直に回想されている。ともかくバカラックは、驚くほどモテる!(もちろんその理由はよくわかる) 若き日、56歳となっていた大女優マレーネ・ディートリッヒの音楽監督として抜擢され、世界を巡る中で伝説的存在のマレーネから言い寄られたり、女優アンジー・ディキンソンを含む4度の結婚生活などはロックスター以上に華やかかつ乱気流。アンジー・ディキンソンの間に生まれ若くして命を落とした愛娘ニッキーとの悲しい運命も真摯に記されている。

終演後バカラックに伝えた感謝の思い

1973年生まれの僕がリアルタイムで最初に好きになったバート・バカラック作品は、透き通るハイトーンボイスでクリストファー・クロスが歌い世界中で大ヒットした「ニューヨーク・シティ・セレナーデ / Arthur's Theme (Best That You Can Do)」。そして、彼の作曲の虜になった決め手は1985年にディオンヌ・ワーウィック、スティーヴィー・ワンダー、エルトン・ジョン、グラディス・ナイトが共演しグラミー賞・最優秀楽曲賞を獲得した「愛のハーモニー / That's What Friends Are For」。この2曲は、当時バカラックの3人目の妻、シンガー・ソングライター・作詞家のキャロル・ベイヤー・セイガーとの共作で(「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」は、クリストファー・クロス、ピーター・アレンと4人で共作)、彼女とコンビを組んだ80年代はバカラックにとっては何度目かの全盛期にあたる。60年代、70年代に無数の名曲を生み出した作詞パートナー、ハル・デヴィッドだけなく、バカラック自身の波瀾万丈な結婚生活や恋愛事情によるこうしたタッグ、共作者の変化も、結果的に彼の比べる相手がいないほど長い音楽家としてのサバイブにつながったと振り返って思う。

幸宏さんの訃報を受けて10年前のビルボードライブでの素晴らしい想い出のことを反芻していた矢先、バカラック大往生の知らせが……。あの夜、奇跡的な宴の終わり。僕はビルボードライブの楽屋までの動線でステージを終えたバカラックに歩み寄り、感謝の思いを伝え、握手を求めた。彼の燦然たるキャリアの中でも指折りに観客との距離の近いビルボードライブでの経験は「バート・バカラック自伝」にも、感動した観客から握手を求められた想い出として記されている。この世を去っていった尊敬する音楽家との温かく鮮やかな記憶を、寂しさとともに反芻し、感謝する日々がずっと続いている。

西寺郷太 バカラック10の再生はこちら

西寺郷太(ニシデラゴウタ)

1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。2020年7月には2ndソロアルバム「Funkvision」、2021年9月にはバンドでアルバム「Discography」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「90's ナインティーズ」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などに多数出演している。2023年3月、3rdソロアルバム「Sunset Rain」リリース。

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西寺郷太 @Gota_NonaReeves

バート・バカラック追悼文を書かせていただきました。
https://t.co/ycpaf7LvM6

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