渋谷系を掘り下げる Vol.11 [バックナンバー]

韓国のポップミュージックへの影響

長谷川陽平が語る、もう1つの“渋谷系”

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韓国産“渋谷系”インディー勢の登場

――同じ時期からはそうした“渋谷系”からインスパイアされた韓国のバンドが出てきますよね。Humming Urban Stereoのミニアルバム「Short Cake」やCLAZZIQUAI PROJECTの「Instant Pig」が2004年、Peppertonesの1stアルバム「Peppertones vol.1 - Colorful Express」が2005年に出ました。99年に結成されたRoller Coasterもこの時期に「Absolute」などのアルバムをリリースしています。

CLAZZIQUAI PROJECT

Peppertones

やっぱりHumming Urban Stereoなど韓国産“渋谷系”インディーバンド / アーティストの登場が大きかったんじゃないですか。ここ数年、韓国でもシティポップが日本の音楽として聴かれるようになって、自分たちでもバンドをやってみようと動き出した人たちがいたわけですが、この時期“渋谷系”に触れた人たちが新しいバンドを始めた。その中でもHumming Urban Stereoは象徴的なバンドだったと思います。あのバンドは韓国産“渋谷系”の元祖みたいな存在ですから。

――その頃の韓国ではフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴはどのように聴かれていたんでしょうか。

どちらもマタドールレコード経由で聴かれていたと思います。当時のUSインディーの流れで聴かれていたということですね。ただ、そういう人たちと“渋谷系”の話をしても、フリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴの名前は出てこない。やっぱりHARVARDであり、FPMなんです。それぐらい韓国における“渋谷系”のイメージが頑丈にできあがってしまったということだと思いますね。

――ただ、そうした韓国独自の“渋谷系”が90年代の東京で生まれたカルチャーのまがいものかというと、必ずしもそうだとは思わないんですね。韓国のポップミュージックは1950年代から外来の音楽を咀嚼し、少々の誤解を含みながら韓国独自のものを作ってきたわけですよね。それこそ妄想のサイケデリックロックを作ってしまったシン・ジュンヒョンやサヌリムのように。韓国産の“渋谷系”も同じ流れにあると言えるんじゃないかと思うんですよ。

韓国の場合、料理と一緒で“いくら本格的なものでも自分たちの口に合わないと無理”という感覚が音楽にも反映されているんです。自分たちのフィルターを通さないと受け入れられづらい。例えばブラジル音楽にしてもガツンとした本場仕様のサンバなんかだと、韓国の人たちには少し泥臭い。でも、2000年代以降の日本人アーティストがやっている洗練されたブラジル仕様の音楽であれば、みんな受け取ることができるんです。

――なるほど。

それは日本のシティポップも一緒で、80年代以降のアーバンなものはみんな受け入れられるけど、70年代のもの、例えば少しスワンプぽいものだったりファンクの匂いが強いものだと、みんな抵抗感を持ってしまう。そこは“渋谷系”も一緒だと思います。

韓国のクラブでプレイ中の長谷川陽平。(写真提供:長谷川陽平)

韓国のクラブでプレイ中の長谷川陽平。(写真提供:長谷川陽平)

――Humming Urban StereoにしてもCLAZZIQUAI PROJECTにしても、この連載で語られてきた渋谷系の視点からすると、音楽的には少しズレるところがありますよね。「えっ、これが渋谷系?」という。でも、そこには韓国ならではの感覚が反映されていると。

日本で言う渋谷系から変異したものであることは確かだと思いますよ。あと、今思い出したんですが、僕がソウルでやっている「This Is The CITY LIFE」というパーティに遊びに来てくれた若い子と話していたとき、彼はこう言ってたんですよ。「フリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴは自分たちにとって、少し難しかった」と。

――難しかった?

そう。フリッパーズ・ギターにしてもピチカート・ファイヴにしても、音楽的にはものすごくマニアックなものをポップに昇華しているわけじゃないですか。ある程度音楽を聴いている人は「さすがだな」と思うけど、日本のようにマニアックに音楽を聴く習慣があまりなかった韓国だと、どうしても難解に聴こえてしまうんでしょうね。それよりもフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴのテイストが入った2000年代以降のダンスミュージックのほうが受け取りやすかったんだと思います……そう言えば、もう1つ思い出しました。

――おっ、なんでしょうか。

クレイジーケンバンド小西康陽さん、それとDJソウルスケープが韓国で一緒にやったことがあったんですよ(2002年6月22日に開催されたイベント「CONTACT 2002」。DJソウルスケープなど韓国ヒップホップ第一世代を代表するDJたちのほか、日本からは須永辰緒も出演した)。ソウルのポリメディアシアターというところで行われたんですけど、小西さんのDJのとき、めちゃくちゃに盛り上がったんです。小西さんキレッキレで、DJブースからピチカート・ファイヴのレコードをフロアに向かって投げてましたから(笑)。

――小西さんはどういう曲をかけてたんですか?

小西さんが手がけたリミックスもの中心だったと思います。四つ打ちのダンスミュージックだったから韓国のオーディエンスにも受け入れやすかったのかもしれない。ロックでもテクノでもなく、四つ打ちでお洒落という。当時、渋谷系についてみんなが漠然と持っていたイメージをそのまま打ち出したようなDJだったんですよ。それでめちゃくちゃ盛り上がったんだと思います。

渋谷系再解釈の可能性

――サイワールド以降の流れで言えば、2000年代も後半になると、DAISHI DANCEがBIG BANGの「HARU HARU」(2008年)の作曲を手がけたりと、K-POPのフィールドにも韓国流“渋谷系”のテイストが持ち込まれるようになります。2000年代初頭までRoller Coasterのメンバーとして“渋谷系”を演奏していたジヌ(B / Programming)は、バンドが解散したあと、Hitchhiker名義でBrown Eyed Girlsの「Abracadabra」(2009年)を手がけたことで、以降K-POPのソングライターとしても大活躍しますね。

サイワールドから火が点いた“渋谷系”のブームが徐々にメインストリームにも広がっていったという感じですよね。K-POPが今のようにEDM色が強くなる前は、トラックに“渋谷系”の匂いがするものってけっこうありましたし。ジヌさんもバンドが解散したあと、一時期は音楽をやめようとしていたみたいですけど、いきなり忙しくなったようです。

――ところで、韓国の今の若いリスナーの間で“渋谷系”という言葉は通じるんでしょうか。

うん、通じます。サイワールド全盛の時代にティーンエイジャーだった子たちは今30歳前後になってるわけですが、その世代がノスタルジーを感じる言葉になってますね。さっきも言ったように、クラブでHARVARDの「Clean & Dirty」やm-floの「Miss you」がかかると、そういう人たちが大合唱しますし。

ソウル有数の歓楽街、ホンデの夜。(写真提供:大石慶子)

――韓国流“渋谷系”を現在に受け継ぐバンドは今の韓国にもいるんでしょうか。

今は“渋谷系”というよりも完全にシティポップですね。ただ、シティポップといっても、あくまでも韓国流の“渋谷系”を通過したシティポップという感じ。あとは、今後“渋谷系”がどう捉え直されていくか、ですね。今のソウルは空前のレトロブームで、「渋谷系とは何だったのか」をテーマにしたトークショウも行われるようになってるんです。ここ2、3年は僕や仲間のDJもシティポップだけでDJをやることがあったんですけど、「これからは渋谷系を混ぜていかないとダメだろう」と話しているんです。

長谷川がオーガナイズするパーティ「This Is The CITY LIFE」のフライヤー。2019年9月20日には一十三十一がゲスト出演。

長谷川がオーガナイズするパーティ「This Is The CITY LIFE」のフライヤー。2019年に12月20日には脇田もなりがゲスト出演。

――そこでいう渋谷系というのは、韓国流の“渋谷系”ではなく、90年代の日本のもの?

そうですね。韓国の場合、80~90年代の韓国歌謡を通してブレイクビーツやグラウンドビートに慣れ親しんでいる若い子も多いんですね。なので、そうしたビートを使いつつ、渋谷系の匂いがするものが今後再評価されていくんじゃないかと思ってます。韓国では「今夜はブギー・バック」もあまり知られていないし、韓国の人たちにとっては少しとっつきにくかったカヒミ・カリィもグラウンドビートを使った曲であれば踊りやすい。TOKYO No.1 SOUL SETあたりもDJでかけていて反応がすごくいいんです。

――なるほど。韓国で再び渋谷系の再解釈が行われる可能性があるわけですね。しかもシティポップの延長線上で。

そうなっていくと思います。ただ、渋谷系で有名な曲をかければすぐに盛り上がるというわけではなく、韓国流“渋谷系”をいかに理解するかにかかってくるので、韓国でDJをやるというのはすごく難しいことでもあるんです。

長谷川陽平

ギタリスト / プロデューサー / DJ。1995年に韓国へ初渡航。97年に韓国での音楽活動をスタートする。2005年には大韓ロックを代表する伝説的バンド、サヌリムに参加。2009年には韓国の新たな音楽シーンを牽引するバンド、チャン・ギハと顔たちにプロデューサー / ギタリストとして加入を果たす。近年はDJとしても活躍。現在、日韓を股にかけた活動を展開し、アジア音楽シーンの新たなキーパーソンとして国際的な注目を集めている。

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大石始

世界各地の音楽・地域文化を追いかけるライター。旅と祭りの編集プロダクション「B.O.N」主宰。主な著書・編著書に「奥東京人に会いに行く」「ニッポンのマツリズム」「ニッポン大音頭時代」「大韓ロック探訪記」「GLOCAL BEATS」など。最新刊は2020年末に刊行された「盆踊りの戦後史」(筑摩選書)。サイゾーで「マツリ・フューチャリズム」連載中。

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増田聡 @smasuda

韓国のポップミュージックへの影響 | 渋谷系を掘り下げる Vol.11 https://t.co/3FCYiZAk9a とても面白い。加藤くん案件

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