国境を越えて活躍する日本人 第2回 [バックナンバー]

奈良橋陽子(前編):「SAYURI」「ラスト サムライ」「バベル」─日本とハリウッドをつなぐキャスティングディレクターという仕事

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以前に比べ、海外作品で日本の俳優が活躍する姿を見ることが増えている。近年、ハリウッドを中心に推進されている多様性・包摂性の向上も、彼らの活躍の場を広げるキャスティングディレクターの腕の見せどころだ。

連載「国境を越えて活躍する日本人」では、スティーヴン・スピルバーグ監督作「太陽の帝国」で映画の世界に入り、「ラスト サムライ」や「バベル」、そして近年の話題作「G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ」「ケイト」など多数の映画・ドラマのキャスティングを手がける奈良橋陽子に話を聞いた。前編ではキャスティングディレクターに就くまでの経緯から、最近のキャスティング事情、海外で活躍するための秘訣について。後編では具体的な作品を挙げて語ってもらった。

取材・/ 平井伊都子

スピルバーグ の「太陽の帝国」が最初の仕事

──お父様のお仕事の都合で5歳から高校までカナダで過ごされていましたが、日本と海外をつなぐ仕事を意識されたのはいつ頃ですか?

日本で大学を卒業して、演技を学ぶためアメリカの演劇学校に進んだときに「自分は本当に役者をやりたいのか?」と考えたんです。それで一度日本に戻って結婚・出産を経てから、舞台を演出する機会を得ました。そこで、私が感じていることを若い人たちに伝えたいと感じたのがきっかけかもしれません。本格的にエンタテインメントの道へ進もうとしたとき、その根本には「国際的に人間同士の相互理解を促したい」というものがありました。演出を始めてから、日本のことを知ってほしい、同じように日本人にも外国のことをもっと理解してもらいたいという思いが強いと気付いたんです。

1955年、家族とハワイにて。中央の子供が奈良橋陽子。

──演劇の世界から映画界に進んだきっかけはなんだったのでしょう?

本当に自然な成り行きだったんです。演出をやりたかったので、それならうまい役者がいたほうがいいと思って演技を教えたりしていました。同時に、英語を使った仕事がしたかったので、英語を話せる俳優を探したり。いろいろ手伝っているうちに、スティーヴン・スピルバーグの映画に呼ばれたんです。

1980年、ミュージカル「ヘアー」を演出する奈良橋陽子(手前)。

──1987年製作の「太陽の帝国」ですね。

知り合いから、手伝ってくれないかというお話が来たんです。最初はキャスティングというより通訳のような仕事でしたが、「こういう役者がいるよ」とアイデアを提示したりしました。

──いきなりスピルバーグ監督の作品なんて、すごいですよね。

本当に(笑)。自分もいずれ映画を演出したいと思っていたので、スピルバーグの現場で演出を勉強しようと思ったんです。「映画を演出したい」というのはずっと、今も絶えず思っていることです。もしもう一度人生を歩めるのならば、子供の頃から映画を演出していたと思う。

キャスティングとは、映画の方向付けをする仕事

──「太陽の帝国」以降、どのようにキャスティングディレクターの道を歩まれたのですか?

当時、日本の映画業界で英語ができる人が本当に少なかったんです。今は全米キャスティング協会(Casting Society of America)の会長になっているデイヴ・ルービンが、工藤夕貴さん主演の「ヒマラヤ杉に降る雪」で日本人の役者を探していたとき、鈴木杏ちゃんを紹介しました。それが彼の印象に残っていたのか、次々と仕事が続いていきました。そのあと「ラスト サムライ」もやりました。ハリウッドの大きな映画は莫大なお金が動くだけに、本当に信頼できる人じゃないと難しい。だから信頼が信頼を呼び、つながっていくんじゃないかと思うんです。当時は私みたいな人はいなかったから、ピンからキリまでいろいろな仕事をしました。

──キャスティングディレクターは、どの段階から映画に関わり始めるんですか?

例えば「SAYURI」は、スピルバーグの下でやっていた若い女性プロデューサーが関わっていて、まず原作を読んでほしいと言われて。飛行機の中で原作の「Memoirs of a Geisha(さゆり)」を読んで、だいたいのキャスティングを想像しました。キャスティングディレクターは、誰を起用するか最初に決めて、映画の方向付けをする仕事です。だからけっこう早い段階で依頼が来ます。ハリウッド映画のキャスティングは、早めに雇われて、キャスティングが決まったら交渉して契約して、そこで終わり。

「SAYURI」より、チャン・ツィイー(左)と渡辺謙(右)。(写真提供:Columbia / Photofest / David James / ゼータ イメージ)

──キャスティングプロセスの中で一番大変なことはなんですか?

監督がなかなか決めないタイプで、オーディションで俳優に何回もいろいろな役をやらせることがあります。「役者をなんだと思っているの、1回見てわからないの?」と思いますけどね(笑)。

無我夢中で必死だった「ラスト サムライ」

──今までのフィルモグラフィの中で、転機になった作品はありますか?

2年にわたり、家族もすべて巻き込んで取り組んだのが「ラスト サムライ」でした。とにかく無我夢中で、この仕事をやり遂げたいと必死だった2年間でした。トム(・クルーズ)が作品に加わる前から関わっていたんです。「ラスト サムライ」はキャスティングディレクターの経験というよりも、人生における体験として感謝しています。最終的にアソシエイトプロデューサーとして名前がクレジットされたのも大きいです。

「ラスト サムライ」より、トム・クルーズ(右)と渡辺謙(左)。(写真提供:Warner Bros. / David James / ゼータ イメージ)

──「ラスト サムライ」では、真田広之さんのキャリアにも大きな影響がありましたね。

ヒロ(真田広之)さんは以前からすごく熱心で、海外で活動したいという気持ちがあるのを知っていました。何度もオーディションして、彼のアクションと殺陣に「これは!」と思っていたんです。「ラスト サムライ」の前は、ハリウッド映画に日本人の役者がたくさん出ているわけではありませんでした。それこそ、三船敏郎さんの時代までさかのぼるような。だから「ラスト サムライ」以降、今までは想像もしなかったことに対して「自分もできるかな」「私もやってみたい」という励みになった人が多いんじゃないでしょうか。日本の俳優の方々にとって、いい意味で刺激になっていたらいいなと思います。

「ラスト サムライ」より、真田広之(手前)。(写真提供:Warner Bros. / David James / ゼータ イメージ)

コロナ禍で変わるオーディション形式、世界中の人にチャンスが

──俳優を取り巻く環境はいかがでしょう。日本とアメリカは、事務所やエージェントのあり方が真逆です。日本では事務所に所属しますが、アメリカでは俳優がエージェントを雇います。環境の違いによる文化摩擦はありますか?

海外の作品に参加するとき、日本である程度売れている俳優は「えっ、オーディションするの?」と戸惑うんですよね。一方、アメリカはみんなオーディションするんです……“Aリスト”と呼ばれる本当に数えるくらいの人たち以外は。前提が違うので、日本人俳優にとっては難しいようでした。あとは、アメリカではギャランティの支払いを、マネージメントではなく役者が直接受け取ります。役者はそのギャラからエージェントに対して支払う。日本の風習だと、エージェントが管理して、役者は出演料の金額を知らなかったりします。今は私が少し手伝って、役者と事務所の両者がサインして、出演料が明らかになるように変わっていきました。

──そういった小さな違いを克服する手助けもされているんですね。

そうなの。大まかに言うと、アメリカはすべてがデジタルなんです。だから、この役をキャスティングしたいというとき、情報が一気に広がって、パッと飛び込んできた俳優を選んでいくわけです。日本の場合は、まず事務所に電話して「あの、すみません……」なんてところから始めないといけない。わかります? この違い。アナログもいいところですよね(笑)。

──コロナ禍において、オーディションの形式も変わりましたか?

全然違います。前は俳優をスタジオに呼び、私を相手に演技してもらえばだいたい感覚がわかりました。今はもう、すべてセルフテープ(※自分で撮影したVTRを送る方法)です。最終段階になってようやくZoomで、相手役と合わせてケミストリーを見る。日本の場合は、デジタル化が遅れているから、なかなか難しいですね。そういう場合は、予防に配慮しながらなるべく実際に会うなど、方法を考えています。

──役をつかむためには、セルフテープの撮影技術も必要になってきますね。

ちゃんと照明を当てて撮影するとかね。でも、文句を言ってもしょうがないでしょう? 逆に、セルフテープでオーディションができるようになったということは、世界中のいろいろな人にチャンスがあると考えることもできますからね。

英語力と強い目的意識が必要

──これからハリウッドや世界に羽ばたきたいという日本の役者、あるいは日本の監督、脚本、撮影、美術……その方たちが挑戦するために必要なことやメッセージはありますか?

まず、できれば英語を自分の意思を伝えるぐらいは使えるようになることですね。英語は単なる道具で自分の表現の一部なので、本当にやりたいことがあれば、そんなに大変じゃないと思う。日本人は英語の面で、すごく損している気がします。全体的に引っ込み思案なのか、演技や基本はどの国の人たちも一緒なのに、チャンスを生かせてないなと。あとは、何か自分だけのすごくいいストーリーがあるといいですね。

──ストーリー、ですか?

日本と海外をどうやってつなげるかとか、平和のためでもいいですし、強い目的意識があればやっていけると思います。ただの憧れではなく、まずは自分を見つめて、何をやりたいのかはっきりさせる。そうしないと、壁にぶつかったときに「どうしてハリウッドなの?」と悩んでしまう。

──その通りだと思います。

また、海外に行くと日本人として扱われるので、日本のことを散々聞かれます。そのときにちゃんと答えることができないと会話になりません。アメリカに行っても、常に努力して準備ができていないと、チャンスはやって来ないですよ。何もしないで「チャンスがあれば」みたいな考えはちょっと甘いと思ってしまいます。

※後編に続く。

奈良橋陽子(ナラハシヨウコ)

奈良橋陽子

1947年6月17日生まれ、千葉県出身。外交官だった父親の仕事により5歳から16歳までカナダで過ごす。国際基督教大学を卒業し、アメリカの演劇学校に留学。帰国後は演出家としてミュージカル「ヘアー」などに携わり、作詞家としてゴダイゴのヒット曲「ガンダーラ」「銀河鉄道999」などの英語詞を手がける。1987年製作のスティーヴン・スピルバーグ監督作「太陽の帝国」をきっかけに、映画のキャスティングディレクターの道へ。「ヒマラヤ杉に降る雪」「ラスト サムライ」「SAYURI」「バベル」「終戦のエンペラー」「ウルヴァリン:SAMURAI」など、数多くのハリウッド映画に日本人俳優を紹介した。近年の参加作品は「G.I.ジョー:漆黒のスネークアイズ」やNetflix映画「アースクエイクバード」「ケイト」、Netflixシリーズ「Giri / Haji」など。公開待機作にテトリスを題材とした映画「Tetris(原題)」などがある。監督業も行なっており、1995年に「WINDS OF GOD ウィンズ・オブ・ゴッド」を発表した。俳優養成所・UPS(アップス)の代表を務め、国際的に活躍できる俳優の育成にも取り組んでいる。

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